右膝前十字靭帯断裂~手術とリハビリを経て~

こんばんは。和菓子です。

今日は、2022年の春に負った人生最大のけがについてお話します。
とても長くなりました。

目次

けがをした時の状況と診断を受けるまで

2022年5月15日
サッカーの試合中相手選手のシュートをブロックした際に
膝をひねり、右膝前十字靭帯断裂というけがを負いました。
その瞬間は「あ、これはただのけがでは済まないかも」という感覚が頭をよぎりました。
小学校からのサッカー人生ですが、
これまで1度も大きなけがをしたことがありませんでした。
派手にこけたり、相手選手と大きく接触しても、自分だけは
けろっと立ち上がって何事もなかったかのようにプレーに戻る、
いつもそんな感じでした。
しかしこのときは、息もできず立ち上がれず、担架でコート外に運ばれました。
仲の良い後輩も「和菓子さんがこんなんなるって相当なけがだ」と思ったそうです。
試合終了2分前の、けがだったので、外に出てすぐ試合が終わりました。
もうその頃には痛みもなく、普通に歩けていました。
「さすがに明日病院行かないといけないけど、大した事なさそうだな、良かった。」
そんな風にまで思っていました。
そして次の日、近所の整形外科クリニックを受診しました。
先生は私の膝を見てすぐ顔を曇らせました。
膝にたまった水を注射器で抜いてもらったあと、
先生は確信した顔で「前十字靭帯断裂だと思います。
すぐ大きい病院でMRIを取ろう。いずれは手術が必要です。」と言いました。
前十字靭帯断裂というけがは、プロ選手のけがでも聞いたことがありましたが、
自分が?そんな大けが?手術?とあまり現実を受け入れられませんでした。

手術を受ける決断

私はこの頃、就職活動の真っ最中でもありました。
希望の職種上、身体を使った試験もあったため、
それも絶望となり、最後の年にサッカーもできない、色々な現実を突きつけられ、
頭が真っ白になったのを覚えています。
頭は追いつかない中、話はどんどん進んでいき、
「いま手術をしたら、引退までにサッカー復帰は不可能」
「手術を引退後にすると、4月からの勤務に影響」
この2つを鑑みて、どちらを優先するかを決め、
手術の時期を決定しなければいけなくなりました。
サッカーより将来だと思った私は、大学での最後のサッカーを諦め、
受傷から1か月の6月に手術を受ける決断をしました。
就職試験は、テーピングをぐるぐる巻きにしてダメ元で臨みました。
もちろん不合格だったので、この遠回りを始めることになりました💦

手術当日

無事試験を終えてから2週間、6月下旬に入院しました。
手術はもちろん、点滴すらしたことなかった私は、
初めての入院生活はどこかワクワクしていました。
(常に楽しむ精神をもった変な人です笑)
入院の次の日午前11時に手術予定でしたが、14時からに延び、
全身麻酔に向けて絶食していたのでおなかがペコペコでした。
いざ自分の番が来て向かった手術室。ドラマの世界かなとか思っていました。
手続きを済ませ「では今から眠くなります」と言われて
3秒数えたところで眠っていました。
友達からは「全身麻酔に何秒耐えれるか数えてきて!」と言われていました笑
2時間半の手術を終え、起きたときには、右足全体にズーンと重さを感じました。
そしてこれが痛みなのか?と認識したとたん経験したことのない痛みに襲われました。
なぜか、意識がはっきりしていたので、眠ることもできず、
安静解除までの3時間ひたすら痛みに耐えながら天井を見ていました。
時計すら見ていなかったので、今が何時でどれだけ時間が進んだのかすら分からず
とても長い3時間でした。
そこからさらに3時間後、ようやく食事がOKになり午後10時に軽食をいただきました。
約27時間の絶食でした笑

その日は痛みと違和感でほとんど寝られないまま、朝を迎えました。

18日間の入院生活

そもそも入院は10日間の予定でしたが、大学の授業にも影響しない時期だったので
「ある程度松葉杖で歩けるようにして退院しよう」と主治医の先生に言っていただき、
18日間に延びました。先ほども言いましたが、入院生活が楽しすぎたので
まったく苦ではありませんでした。むしろラッキーみたいな笑
病院食もおいしかったです!!

術後の痛みは2日経ったころにはほぼ感じなくなり、
痛み止めにも全然お世話になりませんでした。
看護師さんも「飲まんでいいの?」と心配してくださるくらい、
早い段階で大丈夫になりました笑

手術翌日から、PTさんによるリハビリが始まりました。
リハビリは毎日午前と午後に1時間ずつ行いました。
担当のPTさんは、スポーツ疾患に強い方をリーダーとした明るくて楽しい、
男性2人女性1人の3人チームでした。
このチームがほんとに仲良くてほほえましかったです。
初めの1週間は、ひざを曲げても伸ばしてもダメだったので、
患部外(おしりや太ももの筋肉)のトレーニングや腹筋メニュー、
そして、ひざ周りの皮膚が癒着しないようにするためのマッサージがメインでした。
つい1か月前まで、バリバリサッカーをしていたので、体力と筋力は有り余っており、
ほかの患者さんに比べてメニューが鬼でした。
いい意味で追い込んでくださいました。ありがたいんですけどね。
シャワーした後なのに、1人だけ住んでる世界が違うくらい汗かいてました。
でも楽しかったんですよね。このPTさんチームのおかげで。
マッサージを受けながらのPTさんとの会話が、
唯一の人とのコミュニケーションの時間だったので
リハビリの時間が毎日楽しみでしかたありませんでした。
今は面会とかもできないので、基本孤独なんですよ入院生活。
私の病室は4人部屋で、そこの患者さんにはみんな、
このチームのPTさんが担当されていました。
カーテン越しに聞こえてくる会話に思わず笑いそうになったり、カーテン越しにPTさんが
話を振ってくださったりしていました。
PTさんと年が近かったので、ことあるごとに私にちょっかいをかけて、
コミュニケーションをとってくださり、それもうれしかったですね〜。

術後1週間で荷重が体重の3分の1になり、2週間で2分の1になり、
ここでひざの装具も取れました。これが地味にうれしいところで、
シャワーに毎日入れるのですが、この装具を濡らさないために
ビニールを巻いてもらわないといけませんでした。
これが私が唯一ナースコールを押すタイミングでした。
忙しい看護師さんをこんなことで呼ぶのかと、毎回気が引けましたし、
巻いても濡れるときは濡れるので、それを気にしながらのシャワーは少し大変でした。
外れたときの解放感はすごかったです笑

そんなこんなであっという間に18日間が過ぎ退院となりました。
PTチームの3人中2人がお休みの日で、あいさつできないまま退院でした。
また外来で会えるから!とはおっしゃっていただきましたが。

短いといっても18日間なので、結構名残惜しかったです。

7か月にわたるリハビリ生活

退院はしたものの、ここから長いリハビリ生活のスタートです。
入院中担当してもらっていたPTさんチームは、基本外来を診ないので
なかなかお会いできる機会がなく寂しい感じでした。
私は一応サッカー復帰を目標としたプログラムだったので、
外来チームの中でも、スポーツリハビリテーション班の方々に診てもらっていました。
この方々もみんな優しくて面白い方々だったので、
外来リハビリも全く苦になりませんでした。この病院最強やな笑

リハビリには基本的に週2日通っていました。
松葉杖が1本になって、松葉杖が取れて、普通に歩けるようになって。
松葉杖が結構きついので、普通に歩けるって本当にすごいことだなと実感し、
術後2か月目までは自転車が乗れなかったので、歩いてどこまでも行っていました。
歩けることがもううれしくて、1時間くらい歩いたり、散歩に出かけたりしていました。
自転車に乗れるようになって、ジョギングができるようになって、
ジャンプができるようになって、ダッシュができるようになって、
月を重ねるごとにできるとが増えて。
PTさんがモチベーションを保つ声掛けをたくさんしてくださるので、
自主トレも頑張れました。おかげで、プログラムに一切遅れをとりませんでした。
しかしここでも、メニューは鬼で、また1人だけ汗だく笑
そして16時に来たのに帰るのは18時。患者はリハ室に自分だけ。
仲のいいほかのPTさんから「2時間くらいおらん?パーソナルジムやん」といって
話しかけられたり、また別の方にも「もう閉店やで笑」と言われたり
そんな遅くまでやってもらったこともほんとに感謝ですよね~。

毎週毎週通い続け、術後7か月目の診察で
「筋肉はもう追いついているし、早いけどいったん卒業にしようか。」
突然そう言われました。もともとこのプログラムでは8か月通う予定でした。
え、もう終わり?あと1か月だと思ってたのに。
もう皆さんに会えなくなるのか、そう思うと7か月の思い出が頭をめぐり、
同時にさみしさが襲ってきました。

リハ室に上がると「卒業って言われたなー、今日で終わりは急やから、
あと数回で終わることにしよか」そう言われました。

なんかぽかーんとしたままその日のリハビリを終え、
次の日から急いでPTさんへのお礼の手紙を用意し始めました。

そして迎えた最終日、お世話になった方々に手紙を渡し、お礼を伝えました。
「PT目指すこと応援してるで!」と、皆さんに言っていただき、
病院出るころにはうるうるしてました笑

私がPTになりたいと思えたのは、
まぎれもなくこの病院のスタッフの方々のおかげであり、
なにより、ここまで動けるひざになったのも感謝しかありません。
3年勉強に励み、次はPT同士として、
どこかでお会いできる日を楽しみに頑張ろうと思いました。

この気持ちを忘れず頑張っていきたいです。

さいごに

突然のリハビリ卒業から2週間がたち、受傷から今までのことを書きたくなりました。
こう見たらこのけがでの経験は本当に濃かったなと。
けがをしてサッカーができなくなったことは悲しかったし悔しかったけど、
それ以上に得るものが多かった7か月でした。
これから入院や手術を受ける方への参考になればとも思います。

とてもとても長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。