「PLAN75」を観て感じたこと。(ネタバレを含みます)

こんばんは。久しぶりの投稿となりました。
和菓子です。

最近話題となっている映画「PLAN75」を
Amazon primeで視聴したので、
今日はその感想を書こうと思います。
ネタバレも含まれますので、
お読みいただく際にはご注意ください。

もともと映画館で映画を見るのが好きな私は、
この映画の予告を映画館で見たことがありました。
気になってはいたものの、
見れずのままだったので、配信が始まったことを知り、さっそく見ました。
高齢者にかかわることの多いPTを目指すという
視点でもとても勉強になる映画でありながら、
怖いほどのリアリティに
心臓が締め付けられる作品でした。

⚠️⚠️ここからネタバレが随所に入ります⚠️⚠️


フィクションでは済ませられないリアリティ

この映画のタイトルである「PLAN75」というのは、
75歳になったら自分で生死を選択できる、という架空の制度であり、これが国会で採決され実際にその運用が開始された日本が描かれています。
高齢化社会から抜け出す策として施行された中で、
労働力のない高齢者を弱者扱いし、
「役に立たない者は生きている価値がない。」
というような考えが蔓延し、
この制度への賛成ムードが漂い、
高齢者が選択を不本意に迫られていくわけですが、
それが今の日本の現状と重なり、「ただの映画の世界の話」では済まされない作品だと感じました。
この先の日本が避けては通れない問題だからこそのリアリティがとても恐ろしいものでした。

高齢者の働く場所

映画の中で、ホテル清掃の従業員であった4人の高齢者が突然解雇されるシーンがあります。
高齢なのに大変な仕事だからなどという配慮の気持ちを建前に、本音は年齢を理由とした不当解雇なんだと思います。
解雇された主人公の女性は、旦那さんと死別して独り身であり、働かないと生活が苦しい状態でした。
すぐに次の働き口を探すものの、年齢を理由にすべて断られ、挙句の果てに夜中の交通整理の仕事をしていました。
見ているこっちが震えるくらい寒そうな夜に、
防寒対策もほとんどない状態で、凍えながら誘導棒を振っているという場面は、個人的に1番印象に残っています。
あそこはもう見たくないです、、、。苦しすぎました。

私がアルバイトをしているファーストフード店では
60代の方も70代の方もいます。
他の店舗でも高齢の方を積極的に採用している印象があり、あまり高齢者の働き口について考えたことがなかったですが、今思えば、病院の清掃であったり、早朝に大学の校舎の清掃をしてくださったりしていたのは、大抵高齢の方だったなと。
そのような仕事が良いとか悪いとかそんなことではなく、高齢になっても自分がやりたい仕事をできている人は数少ないのかもしれないなと感じました。
「その年齢になっても働ける場所ががあるだけマシ。」そんな声すら頻繁に聞こえてきそうです。
何歳になったって自分がやりたいことを決める権利はあるし、他人が操っていいわけないのに、現実は難しいところです。
今の自分にでもできることはあるのかと考えてしまいます。

「PLAN75」に翻弄される若者

「PLAN75」は75歳以上の高齢者にしか関係のないことでは全くありません。「PLAN75」がどんどん広まる中で、それに翻弄される若者についても描かれています。映画の中では、
「PLAN75」関連の業務に携わる3人の若者が登場します。
1人は「PLAN75」の申し込みを受けたり、説明をしたりする、役所で働く男性。
1人は「PLAN75」を申し込んだ高齢者への、日々の連絡や、毎日の話し相手をする女性。主人公の担当者です。
1人は「PLAN75」で死を選んだ方の身元整理をする女性。外国人労働者であり、娘の病気の治療にかかる費用を稼ぐため、「PLAN75」関連の施設で働いています。

この3人は「PLAN75」を申し込む人や、死を選択し亡くなっていく人を1番近くで見る中で、この制度に疑問を持ち始めます。
しかし何もできない現状に苦しんでいるような感じが伝わってきました。

主人公の高齢者女性が明日死を迎えることとなり、最後の電話をしていた担当女性は職場で涙を流していました。
この制度に不信感というか疑問というか
そんなものを抱いているように思えました。
主人公が最後に「毎日話せてよかった、さようなら」と担当女性に言うシーンがあり、ここも見るのが本当につらかったです。泣きながら見ていました。

全体の感想

この映画のラストで、「PLAN75」にかかわる人
それぞれが出した決断にまた深いものがあります。
あえてそこは書きませんが、とてもグッときました。

あるお世話になっているPTの方が、この映画を私より先にご覧になっていて「メンタルがやられているときには見ない方がいいけれど、高齢者とかかわることが多いPTを目指す者としてみたほうがいいかもね」とおっしゃっていました。
それがとてもうなづけたのと、こんな未来は迎えたくないなと強く思いました。
もちろん長生きすることが必ずしも幸せなわけでもないし、元気でいられないなら、長生きするのもしんどいというのもよくわかります。
人生の選択はみんな自由だと考えています。
それなのに、まだまだ頑張りたい、まだ生きていたい、そう思っている人たちをも、死の選択に追い詰めるなんていうそんなひどいことは嫌です。
生きる価値なんて年齢に左右されていいものでは
決してないと感じました。

この映画を見て、周りの人をもっと大切にしたいなという温かい感情もわきました。
認知症を持つ高齢の祖母ともう少し向き合わないとな、とも思いました。

賛否両論ありますが、私はぜひ多くの方に見てほしい映画です。

本日も長くなりました。お読みいただきありがとうございました。

右膝前十字靭帯断裂~手術とリハビリを経て~

こんばんは。和菓子です。

今日は、2022年の春に負った人生最大のけがについてお話します。
とても長くなりました。

目次

けがをした時の状況と診断を受けるまで

2022年5月15日
サッカーの試合中相手選手のシュートをブロックした際に
膝をひねり、右膝前十字靭帯断裂というけがを負いました。
その瞬間は「あ、これはただのけがでは済まないかも」という感覚が頭をよぎりました。
小学校からのサッカー人生ですが、
これまで1度も大きなけがをしたことがありませんでした。
派手にこけたり、相手選手と大きく接触しても、自分だけは
けろっと立ち上がって何事もなかったかのようにプレーに戻る、
いつもそんな感じでした。
しかしこのときは、息もできず立ち上がれず、担架でコート外に運ばれました。
仲の良い後輩も「和菓子さんがこんなんなるって相当なけがだ」と思ったそうです。
試合終了2分前の、けがだったので、外に出てすぐ試合が終わりました。
もうその頃には痛みもなく、普通に歩けていました。
「さすがに明日病院行かないといけないけど、大した事なさそうだな、良かった。」
そんな風にまで思っていました。
そして次の日、近所の整形外科クリニックを受診しました。
先生は私の膝を見てすぐ顔を曇らせました。
膝にたまった水を注射器で抜いてもらったあと、
先生は確信した顔で「前十字靭帯断裂だと思います。
すぐ大きい病院でMRIを取ろう。いずれは手術が必要です。」と言いました。
前十字靭帯断裂というけがは、プロ選手のけがでも聞いたことがありましたが、
自分が?そんな大けが?手術?とあまり現実を受け入れられませんでした。

手術を受ける決断

私はこの頃、就職活動の真っ最中でもありました。
希望の職種上、身体を使った試験もあったため、
それも絶望となり、最後の年にサッカーもできない、色々な現実を突きつけられ、
頭が真っ白になったのを覚えています。
頭は追いつかない中、話はどんどん進んでいき、
「いま手術をしたら、引退までにサッカー復帰は不可能」
「手術を引退後にすると、4月からの勤務に影響」
この2つを鑑みて、どちらを優先するかを決め、
手術の時期を決定しなければいけなくなりました。
サッカーより将来だと思った私は、大学での最後のサッカーを諦め、
受傷から1か月の6月に手術を受ける決断をしました。
就職試験は、テーピングをぐるぐる巻きにしてダメ元で臨みました。
もちろん不合格だったので、この遠回りを始めることになりました💦

手術当日

無事試験を終えてから2週間、6月下旬に入院しました。
手術はもちろん、点滴すらしたことなかった私は、
初めての入院生活はどこかワクワクしていました。
(常に楽しむ精神をもった変な人です笑)
入院の次の日午前11時に手術予定でしたが、14時からに延び、
全身麻酔に向けて絶食していたのでおなかがペコペコでした。
いざ自分の番が来て向かった手術室。ドラマの世界かなとか思っていました。
手続きを済ませ「では今から眠くなります」と言われて
3秒数えたところで眠っていました。
友達からは「全身麻酔に何秒耐えれるか数えてきて!」と言われていました笑
2時間半の手術を終え、起きたときには、右足全体にズーンと重さを感じました。
そしてこれが痛みなのか?と認識したとたん経験したことのない痛みに襲われました。
なぜか、意識がはっきりしていたので、眠ることもできず、
安静解除までの3時間ひたすら痛みに耐えながら天井を見ていました。
時計すら見ていなかったので、今が何時でどれだけ時間が進んだのかすら分からず
とても長い3時間でした。
そこからさらに3時間後、ようやく食事がOKになり午後10時に軽食をいただきました。
約27時間の絶食でした笑

その日は痛みと違和感でほとんど寝られないまま、朝を迎えました。

18日間の入院生活

そもそも入院は10日間の予定でしたが、大学の授業にも影響しない時期だったので
「ある程度松葉杖で歩けるようにして退院しよう」と主治医の先生に言っていただき、
18日間に延びました。先ほども言いましたが、入院生活が楽しすぎたので
まったく苦ではありませんでした。むしろラッキーみたいな笑
病院食もおいしかったです!!

術後の痛みは2日経ったころにはほぼ感じなくなり、
痛み止めにも全然お世話になりませんでした。
看護師さんも「飲まんでいいの?」と心配してくださるくらい、
早い段階で大丈夫になりました笑

手術翌日から、PTさんによるリハビリが始まりました。
リハビリは毎日午前と午後に1時間ずつ行いました。
担当のPTさんは、スポーツ疾患に強い方をリーダーとした明るくて楽しい、
男性2人女性1人の3人チームでした。
このチームがほんとに仲良くてほほえましかったです。
初めの1週間は、ひざを曲げても伸ばしてもダメだったので、
患部外(おしりや太ももの筋肉)のトレーニングや腹筋メニュー、
そして、ひざ周りの皮膚が癒着しないようにするためのマッサージがメインでした。
つい1か月前まで、バリバリサッカーをしていたので、体力と筋力は有り余っており、
ほかの患者さんに比べてメニューが鬼でした。
いい意味で追い込んでくださいました。ありがたいんですけどね。
シャワーした後なのに、1人だけ住んでる世界が違うくらい汗かいてました。
でも楽しかったんですよね。このPTさんチームのおかげで。
マッサージを受けながらのPTさんとの会話が、
唯一の人とのコミュニケーションの時間だったので
リハビリの時間が毎日楽しみでしかたありませんでした。
今は面会とかもできないので、基本孤独なんですよ入院生活。
私の病室は4人部屋で、そこの患者さんにはみんな、
このチームのPTさんが担当されていました。
カーテン越しに聞こえてくる会話に思わず笑いそうになったり、カーテン越しにPTさんが
話を振ってくださったりしていました。
PTさんと年が近かったので、ことあるごとに私にちょっかいをかけて、
コミュニケーションをとってくださり、それもうれしかったですね〜。

術後1週間で荷重が体重の3分の1になり、2週間で2分の1になり、
ここでひざの装具も取れました。これが地味にうれしいところで、
シャワーに毎日入れるのですが、この装具を濡らさないために
ビニールを巻いてもらわないといけませんでした。
これが私が唯一ナースコールを押すタイミングでした。
忙しい看護師さんをこんなことで呼ぶのかと、毎回気が引けましたし、
巻いても濡れるときは濡れるので、それを気にしながらのシャワーは少し大変でした。
外れたときの解放感はすごかったです笑

そんなこんなであっという間に18日間が過ぎ退院となりました。
PTチームの3人中2人がお休みの日で、あいさつできないまま退院でした。
また外来で会えるから!とはおっしゃっていただきましたが。

短いといっても18日間なので、結構名残惜しかったです。

7か月にわたるリハビリ生活

退院はしたものの、ここから長いリハビリ生活のスタートです。
入院中担当してもらっていたPTさんチームは、基本外来を診ないので
なかなかお会いできる機会がなく寂しい感じでした。
私は一応サッカー復帰を目標としたプログラムだったので、
外来チームの中でも、スポーツリハビリテーション班の方々に診てもらっていました。
この方々もみんな優しくて面白い方々だったので、
外来リハビリも全く苦になりませんでした。この病院最強やな笑

リハビリには基本的に週2日通っていました。
松葉杖が1本になって、松葉杖が取れて、普通に歩けるようになって。
松葉杖が結構きついので、普通に歩けるって本当にすごいことだなと実感し、
術後2か月目までは自転車が乗れなかったので、歩いてどこまでも行っていました。
歩けることがもううれしくて、1時間くらい歩いたり、散歩に出かけたりしていました。
自転車に乗れるようになって、ジョギングができるようになって、
ジャンプができるようになって、ダッシュができるようになって、
月を重ねるごとにできるとが増えて。
PTさんがモチベーションを保つ声掛けをたくさんしてくださるので、
自主トレも頑張れました。おかげで、プログラムに一切遅れをとりませんでした。
しかしここでも、メニューは鬼で、また1人だけ汗だく笑
そして16時に来たのに帰るのは18時。患者はリハ室に自分だけ。
仲のいいほかのPTさんから「2時間くらいおらん?パーソナルジムやん」といって
話しかけられたり、また別の方にも「もう閉店やで笑」と言われたり
そんな遅くまでやってもらったこともほんとに感謝ですよね~。

毎週毎週通い続け、術後7か月目の診察で
「筋肉はもう追いついているし、早いけどいったん卒業にしようか。」
突然そう言われました。もともとこのプログラムでは8か月通う予定でした。
え、もう終わり?あと1か月だと思ってたのに。
もう皆さんに会えなくなるのか、そう思うと7か月の思い出が頭をめぐり、
同時にさみしさが襲ってきました。

リハ室に上がると「卒業って言われたなー、今日で終わりは急やから、
あと数回で終わることにしよか」そう言われました。

なんかぽかーんとしたままその日のリハビリを終え、
次の日から急いでPTさんへのお礼の手紙を用意し始めました。

そして迎えた最終日、お世話になった方々に手紙を渡し、お礼を伝えました。
「PT目指すこと応援してるで!」と、皆さんに言っていただき、
病院出るころにはうるうるしてました笑

私がPTになりたいと思えたのは、
まぎれもなくこの病院のスタッフの方々のおかげであり、
なにより、ここまで動けるひざになったのも感謝しかありません。
3年勉強に励み、次はPT同士として、
どこかでお会いできる日を楽しみに頑張ろうと思いました。

この気持ちを忘れず頑張っていきたいです。

さいごに

突然のリハビリ卒業から2週間がたち、受傷から今までのことを書きたくなりました。
こう見たらこのけがでの経験は本当に濃かったなと。
けがをしてサッカーができなくなったことは悲しかったし悔しかったけど、
それ以上に得るものが多かった7か月でした。
これから入院や手術を受ける方への参考になればとも思います。

とてもとても長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

「遠回り」だっていいじゃないか

こんばんは。和菓子です。

遠回りPT学生として書かせていただいておりますが、

今日は「遠回り」という言葉について少しお話しさせてください。

「遠回り」ってマイナスイメージがありますよね。

『せっかくの大学4年間もったいないやん。』

確かにそうやって言ってくる人もいました。

しかし私が「遠回り」をするという決断を報告したときに、

大半の人はプラスに捉えてくれました。

それを今日は紹介させてください。

ある人は、「『遠回り』に無駄なことはない。」

またある人は、

「『遠回り』した方が視野が広く持てて、結局それが強みになるよ。」

そしてまたある人は、

「『遠回り』かもしれないけど、

 その決断をできることがまずすごいこと。」

など、「遠回り」というマイナスイメージを、

プラスイメージに変換してくれました。

4年間もったいないとかいうけど、

もったいなかったかどうかは自分が決めること、

そんなん自分次第じゃん、今はそう思っています。

教員免許もった理学療法士なんて

なかなかいないよって強みに思っています。

確かに教員免許もってるからなんなんだ、それも1意見です。

持ってるものを活かせるかどうかも自分次第です。

 

だから私は、今何かに悩んで迷っている方に

「悩んで悩んで選んで決めた自分の道が、正解だったかどうかは、

その後の自分の『行動次第』」

ということを伝えたいです。

そもそも人生に正解なんてないんですけどね。

成功って言葉の方がふさわしいんですかね。。。

とにかく自分次第で正解(成功?)にも

不正解(失敗?)にもなります。

そして失敗したとしても、それは「遠回り」じゃなくて

経験値」になると私は思っています。

だからこそ自分が今本当にやりたいことに妥協してほしくないんです。

今この決断をして結果良くない方向になったらどうしよう、そんなふうに考えないでください。

やってみないとわからないし、うまくいかなくてもそれは自分の経験になります。

必ず次の何かに繋がってます。

22歳の私でもそんな経験たくさんあります。

「あの時あの決断をした自分がいたから今の自分がある。」

むしろそう思うことばっかりです。

もちろん経済的なことなど、気持ちだけではどうにもならないことも

たくさんあるとは思います。

でも自分が行きたいと思った道の方がきっと楽しいです。

同じ問題を抱えるなら、楽しい方が頑張れます。

自分が選んだ道を自分で正解の道にしてください。

 

まだ新たな学生生活が始まってもいないのに

22歳が偉そうなことを言いすぎたかもしれません。

しかしこれが私の今の思いです。

どこかのだれかに伝わるといいなと思っています。

 

本日もお読みいただきありがとうございました。

自己紹介

はじめまして。おはようございます。こんにちは。こんばんは。

22歳春からPT学生の和菓子と申します。

色々なところに自己紹介を書いているので、

またそれか、と言われてしまうかもしれませんが、

改めて、そしてもう少し詳しく自己紹介をさせていただきます。

 

私は2023年3月に現役で教員養成大学を卒業し、そして4月から理学療法士(PT)の

専門学校に通う女子学生です。

まずはこうなった経緯をお話させてください。

私は小学生の時からサッカーをしています⚽

大学でも体育会の部活に入り、4回生ではキャプテンを務めていました。

しかし、迎えた最後の大会2戦目のラスト2分での相手選手との接触により

右ひざの前十字靭帯断裂というけがを負いました。

このけがによって、手術と7か月のリハビリを経験しました。

そこで素敵な理学療法士の方にたくさん出会いました。

私はこれまで、漠然と教員になる自分しかイメージしていませんでした。

しかし教員養成大学に通う中で、教員という職業と自分のやりたいこととの

ギャップを感じ始めていた中で出会った理学療法士という職業は、

とても魅力的でした。私がやりたかったのはこういうことかもしれないと強く感じ、

専門学校に進学する決意をしました。

周りは教員への就職を固めていく中、1人遠回りだと悩んだこともありました。

しかし、やりたいと思ったことに妥協はしたくないという気持ちが強く、

この決断をすることができました。

3年間学生生活が延長し、学費もかかるこの決断を

すんなり受け入れてくれた両親にも感謝しています。

 

けがをしたその日から、自分の生活からサッカーという文字が消えました。

4回生なのにキャプテンなのに、練習にも入れない試合にも出れない、走ることすらできない、ただ外から声を出すだけ。そんな辛いラストでした。

怪我をした人にしかわからない苦労をわかってあげられる理学療法士、そして教員養成大学で得た知識を活かした他とは一味違う理学療法士になりたいと思っています。

遠回りしてでも通うなかで、感じたことや考えたことをこのブログに残していきます。

初めてのブログでまだまだ未熟ものではございますが

どうぞよろしくお願いいたします。

 

アルバイトでは、ファーストフード店のシフトマネージャーをしています。

そちらの話もたまに書きます🍔🍟